飛形山とは?
訪れるだけで癒される、パワースポットです!
【飛形山の歴史】
古墳時代(西暦600年頃)は、「補陀落山」と呼ばれる観音菩薩の聖地でした。
西暦609年、百済国から来た日羅上人が十一面観音菩薩、他諸仏を当山に祀ったことに始まるようです。
しかしながら、落雷により本尊もろとも焼失。
後に行基菩薩が小堂を再建し、本尊も自ら刻んで安置したと言われています。
平安時代(西暦805~1191)に、藤原高房(藤原鎌足より六代目)が太宰大弐(次官)として赴任した際、観音像の造立を思い立ち、香木を唐ノ国に依頼するも他界。
香木は、唐ノ国から故人を偲んでその丸太に「日本筑紫高房に寄す」と書き付け、海に流される。
この香木は年月をへて、都督として太宰府に着任した高房の子、黄門侍郎が、不思議にも海辺にて発見する。
黄門侍郎は亡き父の遺志を継ぎ、観音像を彫ることを思い立ちます。
黄門侍郎は「良い仏師に出会うために京都に上れ」のお告げをうけ、京都にて名工に出会います。
仏師は三カ月の間、堂内に籠り、観音像を彫りあげました。その間、「堂内を決して覗いてはならない。」という約束付きです。
約束の時が来て、お堂を開けると、観音像だけがあり、彫った仏師は消えていたそうです。
大宰府に観音像を持ち帰ると、夜毎に光を放ちながら何処かへ飛んで行き、早朝には帰って来るという不思議な事が起こったそうです。
何処に飛んで行くのか?と、その行方を追うと当山、「飛形山」でした。
黄門侍郎はこの事を大変喜び、この地に観音堂を建立します。
以来、「補陀落山」を改め、「飛形山」と呼ばれるように成りました。
しかし、山頂の寺院は戦国時代に焼失し、今日に至ります。
時代は移っても、昔も今も飛形山は、「山岳信仰」の場所です。
【山とは? 山岳信仰とは?】
日本人固有の信仰ではありませんが、山は古来より神々が宿る場所であり、他界した霊や先祖が帰る場所として信仰されて来ました。
九州八女の豪族であった「磐井一族」も、霊山として、「飛形山」を信仰していたはずです。
その時代は、まだ「補陀落山」と呼ばれていた古墳時代です。
因みに、磐井一族とは、西暦527(古墳時代)におきた「磐井の乱」の豪族です。
その長、磐井ノ大王の墓とされるのが、「岩戸山古墳」です。
時代を遡れば、神武天皇の父君、ウガヤフキアエズノミコトが出てきます。
詳細は飛形山自然公園内にあるお社の説明書きに記してありますので、ご興味のある方はご覧になってください。