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当寺の大きな挑戦とは?

​皆さんを潜在意識の覚醒へ導くことです!

顕在意識と潜在意識とは?

 自分の脳のうち意識的に使用している部分が顕在意識。

 それは脳の持つ能力の3%~5%くらいと言われています。

 使用されていない部分が潜在意識。

 この数字をわずかにでも超えるくらいに脳を使うなら、「天才」「超能力者」といわれるだろう。
人を創られし神は、何故にその様な縁に人を創られたのだろうか?
仏前にて読経する小川住職

 もし、すべての人が、脳を健全に100%使うならば、戦争は無くなるでしょう。

 しかしながら、非健全に脳を使い続ければ、地球上の人間がいなくなるかもしれない。

 SFの世界が、現実になるわけです。

 能力者が増えたら、素晴らしい世界がある様に思えますが、残念ながら反対かもしれません。

 能力を悪く使う、邪な存在が増えると考えられるからです。

 あるいは、王族と奴隷のような人を二分する世界が、出来てしまうのかもしれません。

 しかし、いずれにしても、今の世の姿も、「日本の安定」も、今の人間の姿だから在ります。

 この様な人間社会を、否とも是ともせず、脳力の能力を伸ばしていく事が、潜在能力の開発には問われるとも言えます。
潜在能力を顕在能力にできるか?
飛形山山頂に向かう小川住職
今の脳科学からすれば、Yes ‼ しかし、・・・

 どこまでできるかは、不明です。

 できたとしても、どの様に使えるか?

 それも残念ながら、不明です。

 能力開発の為に何か修行したからといって、100%の開花は望めません。

 仮に、成し遂げてしまえばその時点で、仙人ではないが、白日昇天するかもしれません…。

 仏道修行でも、修験道でも、修行と名の付くものに、感性を磨かない修行はありません。

 職人の熟達した技や能力が、後世に伝わらないのは、何とも嘆かわしい事です。

最も問題なのが、仏教をはじめとする宗教の達人「悟者」の不在です!
この悟者の不在に関して、人類が嘆かないのはなぜだろう?
境内に祭られている仏様

 宗教者・宗教団体としても、あからさまに「悟られた方」の名を聞くことが無いのは、私だけだろうか?

 もちろん、似非(エセ)の悟者ではなくてです。

 釈尊から三千年、御大師様(空海)から1200年以上、悟者の名を聞きません。(泣)

 確かに、悟りは簡単な事ではありません。

 悟った人が、世にその名を轟かすと言う事こそが、笑われる事かも知れません。

 悟ったからといって、姿や言動が変わるわけもありません。

 むしろ、極々普通の人(男性・女性)であろう事は、想像がつきます。

 でも、だからといって、諦めて良いわけではありません。

凡夫の私は未だ待ち望み、私自身も「悟り」に至るべく修行の毎日です。
日本人は「特別」、強者=成功者を嫌う傾向があります。
むしろ、「判官びいき」、弱者=敗北者を好む傾向があると言えます。
曼荼羅

 さて、潜在能力の事ですが、宗教にとどまらず、潜在能力の開発には数多の方法や種類があり、それを売り物にする団体や集まりは多い。

 エセの多い事にも困りものである。

 しかしながら、エセを見抜けないのだから、それも仕方がありません。

 エセか否かの判断は、「氣」を観る事が早道ですが、普通の人にはできません。

 道具を使うなら、「フーチ」や「オーリング」と言う方法もあります。

 能力開発の本もたくさん存在します。

 しかし、何を使えばいいか、どの本を読めばよいか、あるいは、何を信じていいかは、問題です。

 一番の問題は、その疑問を「誰に尋ねる事ができるか?」です。

 どなたも、まことしやかに話される事でしょう。

 結局たどり着いた結論は、「一番の近道は直感だ!」となるかもしれません。

 チャクラの開発も有りますが、簡単ではないと思います。

 簡単に書かれてある書物もありますが、これは目的が売れる事だから、それも仕方のない事でしょう。

 「先生は生徒の準備次第で現れる」という諺があります。

 私は、この諺を信じています。

 確かに、「そうだ!」と経験からも言えます。

 世の中は、共時性(シンクロニシティ)もありますが、基本は因果応報の世界です。

 共時性とは、例えば人の死の予感で「虫の知らせ」というものが存在します。

 因果応報とは、物事には原因があって、結果があると言うことです。

 因果応報は、理(ことわり)、すなわち真理です。

 疑うとか疑わないとかの問題ではなく、見えざる世界の中でも存在する真理です。

 因果応報を理解し、神仏を信ずる心があれば、潜在能力の開発は出来ます。

 潜在の能力開発の問題は、時間がかかるか否か? 別の言葉に言い換えると、「時間を作るか作らないか!」です!
また、天地人の三要素がどう揃うか?で決まる事であろうと思います。

 問題の一つに「氣」の問題があります。

 能力開発の方法を学ぶのは「氣の良いところで。」が一番です。

 しかし、氣との相性もあります。

 氣との相性の悪さが原因で、体調が悪くなるケースも稀に起こります。

 この具合が悪くなる時や期間をどう受け入れるかが、問題です。

 「自分を観る」しか方法はありませんが、それが、できるなら学びは要りません。(笑)

 知性理性が、バランスよく成長しなければなりません。

 「継続は力なり」が、肝要であることも、確かです。

 世の中には、魔が存在する事を忘れてはなりません。「好事魔多し」です。

 内魔・外魔は真実です。

 内魔とは自分の心の中から出る魔(なまけ心など)、外魔とは外部(世間)からやってくる魔(悪霊、悪魔など)。

 「ゆめゆめ忘れる勿れ」です!

 能力開発がうまく行かないのは、魔の関わりを忘れるからです。

 神と魔の力は同等です。

 同等でないなら、この世は「闇か光のどちらか」ということになります。

 ともに混在するこの世は、神も魔も共存して住み分けているだけです。

 どちらに与するかは、自分の心がけ次第です。

 怖いような、有難いような、世界ですね、この世の中は。(笑)
潜在能力の開発には、心霊も関与している事を忘れてはいけない。
むしろ、それを大事にするから上手くなる。

 すると、能力開発に宗教は大切であるという事になります。

 ここに、気の迷いが入り、堂々巡りに陥って、抜けられない存在が出てきます。

 それは、すなわち「魔境」です。

 潜在意識・潜在能力は、脳の隠れた能力です。

 これを顕在意識、顕在能力としていくには、頭脳に加えて、腹脳、皮膚脳の思考回路の数を増やすことです。

 能力開発には、時間をかけて育んでいく事です。これが最も大切な事です。

 なぜならそれは、魔境に入らないですむようにするためです。

この思考回路の増加に関わってくるのが、「瞑想」です!!
仏前にて読経する小川住職(その2)

 瞑想をすることなく悟ることはできないし、悟った方で瞑想をしていない人はいません。

 もし、いるなら似非(えせ)か、宇宙人です。(笑)

 潜在能力の有無を確かにしたければ、瞑想をする事です。

 集中瞑想ではなく、観察瞑想が大事です。(詳しくは瞑想教室のページを参照下さい)

 ヴィパッサナー瞑想こそが、悟りを引き寄せてくれる瞑想です。

最後に、潜在能力の覚醒、開発とは何か?
それは観察瞑想を通じて、顕在能力の深堀りをする事です。
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